2019-01-01から1年間の記事一覧

蜜柑

全宇宙の悲しみが或るひとつの蜜柑に詰まっているというのはよく知られた話である。薄い皮の下に身を寄せ合う小さな房のそれぞれにはこのような名前がついていることだろう。寂寞、陰鬱、哀惜、憐憫...。さあ早くその滴る悲哀を手に取って飲み下してはくださ…

夜の神話

電気を消して寝床に潜り込む。目を閉じて、今日あった出来事とか、明日の朝食のこととか、生きることへの不安とか、その他雑多な物事を色んな射程でとらえる。生きているだけで数え切れないほどの些事に押し流されそうになる。もう少し生きやすかったら良か…

祈る眼差し

「愛する人に死なれたら、毎晩その人を思い出すためにジャスミンの種を蒔く」ガルシア・マルケス「落葉」より 冷気に撫でられて目を覚ますと、車窓から白い光が差し込んでいた。身を起こして外を眺めると、見渡す限り花畑が拡がっているのが見えた。花畑には…

旅に出る理由は

旅に持っていった数冊の本の中の一つにカート・ヴォネガットの「母なる夜」があった。この本の冒頭に「愛する人とできるだけいっしょに寝てあげなさい。それはみなさんにとって、ほんとうに好ましいことですから。」と作者から読者へと語り掛ける言葉がある…

獣たちの夜

バラナシにはヒンドゥー教の聖地、ガンジス河がある。河は幅が広く弓なりに反っていて、にび色の水をたたえてゆっくりと流れる。岸辺には無数の小船が並び、対岸へと信者、通勤通学する人、観光客たちをひっきりなしに運んでいく。ある時、ふと河の深さが気…