祈る眼差し

愛する人に死なれたら、毎晩その人を思い出すためにジャスミンの種を蒔く」
ガルシア・マルケス「落葉」より

 

冷気に撫でられて目を覚ますと、車窓から白い光が差し込んでいた。身を起こして外を眺めると、見渡す限り花畑が拡がっているのが見えた。花畑には靄がかかり、小さな白い花が無数に咲き、どこが果てなのか見当もつかない。列車は走り続け、黄泉のような花畑も途切れることなく並行して続く。時が止まった世界の中を衝動の塊だけが進み続けている。そんな印象を受けた。

 

外を眺めながらぼうっとしていると、「チャイチャイチャイチャイ〜チャイヤ〜」と嗄れた声が聞こえ、やがて、チャイをいっぱいに詰めたタンクと大量の小さな紙コップを携えたチャイ売りの青年が足早に列車の通路を駆け抜けようとした。僕は彼に「チャイ、プリーズ!」と声を掛け、10ルピーを渡し、それと引き換えに一杯の熱くて甘いチャイを得た。

 

チャイを飲みながら頭の中で時間の計算をする。昨日の昼15時にアウランガーバードから列車に乗り、今が朝の7時だから、既に16時間が経過している。そして、今夜21時にアムリトサルに到着する予定なので、少なくともあと14時間はこのまま揺られ続ける。もし遅延などがあればその時間は伸びる。「計30時間列車に揺られ続ける」と聞くと過酷な旅路を想像する人もいるかもしれないが、実際のところ僕は列車での移動をこよなく愛していた。

 

インドの列車には様々な等級があり、一人一寝台確保されているスリーパークラスか、最も安価で予約なしでも乗ることが出来るジェネラルクラスのどちらかを僕はいつも利用した。ジェネラル、スリーパーの上には食事やエアコン付きで、より広くより高価でより安全な等級があったが、それらは僕には不要に感じられた。空腹を感じれば売り子から買ったサモサを齧り、チャイを飲む。寒ければ寝袋に包まるし、暑ければTシャツと短パンになる。そうすれば僕は快適な旅路を得ることが出来た。しかし、それ以上に安価な席で嬉しかったのは人と人との距離が近いことだった。ジェネラルの混雑具合は毎度凄まじく、乗客たちは3人掛けの椅子に6人で座ったり、夜にはところ狭しと通路で身体を折り曲げ、パズルのピースのようにうまい具合に人と人の隙間に自身を捻じ込んで眠ったりしていた。僕はこのジェネラルでの移動が特に好きで、空いている荷棚を見つけたらそこによじ登って混雑をやり過ごし、荷棚が取れなかった場合には開け放しになっている列車の扉から後ろに流れていく景色を眺めたりしていた。扉のところに座ると強風のせいで涙が止まらなくなったが、夕陽に照らされた草原を羊飼いの少女が雲のような羊の群れと踊るように歩いたり、両親がそれぞれに幼子を抱えて4人乗りしたバイクが真っ直ぐな道をひたすらに走ったりする様を見ると、すべて刹那そのものを見ているような気持ちがして、眼を見開いて知らない景色を眼差すことをやめられなかった。

 

旅に出ている間に日本ではソフィ・カルの「海を見る」が公開されていた。今まで海を見たことがなかった人たちが初めて海を見る瞬間を捉えた映像が、深夜0時から1時までの1時間、渋谷のスクランブル交差点のスクリーンで流される。海を見る人たちの眼差し、そして、「海を見る」を見る人たちの眼差し、それぞれ決して交わることのない熱を帯びた視線に、僕は遥か遠くから想いを馳せることしか出来なかった。

 

眼差し程愛おしいものはないと僕は思う。手で触れることも、何かを語り掛けることもせず、見つめること。たとえ、心が嵐のように荒れ狂っていてもそれが誰かに伝わることはない、祈りのような眼差し。いや、眼差しのような祈りだろうか。祈りはなにも変えはしない。平和や愛を祈ったからといって世界が良くなるとは僕は思わない。ただ、それでも僕は祈ってしまう。薄暮の孤独に、愛する人の幸福に、見知らぬ人の花束のような心に、貧しさや飢え寒さ理不尽で苦しむ人たちに、見つめなければいけないすべてのものに。きっと、今までより少しだけ優しい夜が訪れ、やわらかな朝が来ることを僕は信じたいのだ。