日記

 東京に越してきてから1年が過ぎました。そしてそれは、2年程暮らした京都を離れてから1年が経ったということを同時に表します。更に言えば、おばあちゃんが亡くなってしまってから3年経ったということにもなります。

 おばあちゃんが死んでしまったのは、僕が京都に越す直前のことだったので、よく憶えています。おばあちゃんが入院し始めた当初は、暇を見つけては会いに行き、ベッドの横で本を読んで聞かせたり、或いは一緒にテレビを眺めたりしました。しかし間もなく新型コロナウィルスの流行により、一切の面会が出来なくなりました。そして、いよいよ危篤になった時に、本当は駄目だったのですが、看護師さんが融通を利かせておばあちゃんの病室に通してくれました。そこでおばあちゃんに一目だけ会いました。看護師さんに「何か話しかけてあげてください」と言われたのですが、本当に何も言えなかった。おばあちゃんの意識がもう既に混濁していたというのが理由ではなく、人と一生会えなくなる時になんて言えば良いのか当時の僕には分からなかったからです。何なら今でも分からないような気がします。

 僕はもう本当に誰とも会えなくなりたくないと思っています。しかし、生きている限りそういうことは起こるというか、起こりつつあるということも理解しています。恥ずかしながら、僕はまだ人と別れる悲しみを乗り越える術を見つけていません。だからお願いだから、誰にもいなくならないで欲しいと思ってしまいます。我儘だとは重々承知していますが、どうか何卒。