蜜柑

全宇宙の悲しみが或るひとつの蜜柑に詰まっているというのはよく知られた話である。薄い皮の下に身を寄せ合う小さな房のそれぞれにはこのような名前がついていることだろう。寂寞、陰鬱、哀惜、憐憫...。さあ早くその滴る悲哀を手に取って飲み下してはくださいませんか。

夜の神話

電気を消して寝床に潜り込む。目を閉じて、今日あった出来事とか、明日の朝食のこととか、生きることへの不安とか、その他雑多な物事を色んな射程でとらえる。生きているだけで数え切れないほどの些事に押し流されそうになる。もう少し生きやすかったら良かったのにと思うけど、そうではないのでひとりでなんとか生きるしかない。

寝ている人間は植物のようだなと思う。静かに寝息を立てて朝陽を待っている。人の寝顔を観察していると無垢で美しい白い花が咲くのではないかと思って、なんだかいてもたっても居られないような気持ちになる。そして、自分が他人にしてやれることがいかに少ないかを知る。

夜の美しさには孤独の力学がはたらいている。いつか地球を遠くから眺めて「あぁ、なんて美しい星に住んでいたのだろう」と思うときが来るかもしれない。それは僕の眼差しかもしれないし、そうではないかもしれない。そこに大きな違いはない。一生帰れない場所や二度と会えない人を思う深い沈黙に、夜は満たされている。

祈る眼差し

愛する人に死なれたら、毎晩その人を思い出すためにジャスミンの種を蒔く」
ガルシア・マルケス「落葉」より

 

冷気に撫でられて目を覚ますと、車窓から白い光が差し込んでいた。身を起こして外を眺めると、見渡す限り花畑が拡がっているのが見えた。花畑には靄がかかり、小さな白い花が無数に咲き、どこが果てなのか見当もつかない。列車は走り続け、黄泉のような花畑も途切れることなく並行して続く。時が止まった世界の中を衝動の塊だけが進み続けている。そんな印象を受けた。

 

外を眺めながらぼうっとしていると、「チャイチャイチャイチャイ〜チャイヤ〜」と嗄れた声が聞こえ、やがて、チャイをいっぱいに詰めたタンクと大量の小さな紙コップを携えたチャイ売りの青年が足早に列車の通路を駆け抜けようとした。僕は彼に「チャイ、プリーズ!」と声を掛け、10ルピーを渡し、それと引き換えに一杯の熱くて甘いチャイを得た。

 

チャイを飲みながら頭の中で時間の計算をする。昨日の昼15時にアウランガーバードから列車に乗り、今が朝の7時だから、既に16時間が経過している。そして、今夜21時にアムリトサルに到着する予定なので、少なくともあと14時間はこのまま揺られ続ける。もし遅延などがあればその時間は伸びる。「計30時間列車に揺られ続ける」と聞くと過酷な旅路を想像する人もいるかもしれないが、実際のところ僕は列車での移動をこよなく愛していた。

 

インドの列車には様々な等級があり、一人一寝台確保されているスリーパークラスか、最も安価で予約なしでも乗ることが出来るジェネラルクラスのどちらかを僕はいつも利用した。ジェネラル、スリーパーの上には食事やエアコン付きで、より広くより高価でより安全な等級があったが、それらは僕には不要に感じられた。空腹を感じれば売り子から買ったサモサを齧り、チャイを飲む。寒ければ寝袋に包まるし、暑ければTシャツと短パンになる。そうすれば僕は快適な旅路を得ることが出来た。しかし、それ以上に安価な席で嬉しかったのは人と人との距離が近いことだった。ジェネラルの混雑具合は毎度凄まじく、乗客たちは3人掛けの椅子に6人で座ったり、夜にはところ狭しと通路で身体を折り曲げ、パズルのピースのようにうまい具合に人と人の隙間に自身を捻じ込んで眠ったりしていた。僕はこのジェネラルでの移動が特に好きで、空いている荷棚を見つけたらそこによじ登って混雑をやり過ごし、荷棚が取れなかった場合には開け放しになっている列車の扉から後ろに流れていく景色を眺めたりしていた。扉のところに座ると強風のせいで涙が止まらなくなったが、夕陽に照らされた草原を羊飼いの少女が雲のような羊の群れと踊るように歩いたり、両親がそれぞれに幼子を抱えて4人乗りしたバイクが真っ直ぐな道をひたすらに走ったりする様を見ると、すべて刹那そのものを見ているような気持ちがして、眼を見開いて知らない景色を眼差すことをやめられなかった。

 

旅に出ている間に日本ではソフィ・カルの「海を見る」が公開されていた。今まで海を見たことがなかった人たちが初めて海を見る瞬間を捉えた映像が、深夜0時から1時までの1時間、渋谷のスクランブル交差点のスクリーンで流される。海を見る人たちの眼差し、そして、「海を見る」を見る人たちの眼差し、それぞれ決して交わることのない熱を帯びた視線に、僕は遥か遠くから想いを馳せることしか出来なかった。

 

眼差し程愛おしいものはないと僕は思う。手で触れることも、何かを語り掛けることもせず、見つめること。たとえ、心が嵐のように荒れ狂っていてもそれが誰かに伝わることはない、祈りのような眼差し。いや、眼差しのような祈りだろうか。祈りはなにも変えはしない。平和や愛を祈ったからといって世界が良くなるとは僕は思わない。ただ、それでも僕は祈ってしまう。薄暮の孤独に、愛する人の幸福に、見知らぬ人の花束のような心に、貧しさや飢え寒さ理不尽で苦しむ人たちに、見つめなければいけないすべてのものに。きっと、今までより少しだけ優しい夜が訪れ、やわらかな朝が来ることを僕は信じたいのだ。

旅に出る理由は

旅に持っていった数冊の本の中の一つにカート・ヴォネガットの「母なる夜」があった。この本の冒頭に「愛する人とできるだけいっしょに寝てあげなさい。それはみなさんにとって、ほんとうに好ましいことですから。」と作者から読者へと語り掛ける言葉がある。僕はこの言葉を抱きしめながらひとり、まぶしい朝と静かな夜を往き来していた。

 

「椅子」
椅子の下にねむれるひとは、
おほいなる家をつくれるひとの子供らか。

萩原朔太郎

 

旅の間、椅子の下で眠ることはなかったものの、街の安宿、列車の荷棚、駅の待合室、夜行バスの垂直に近いような硬い椅子など、様々な場所を寝床にした。明るい時分に疲れ果てるまで歩き回ることが多かったので、どんな場所であろうと夜はいとも簡単に深い眠りに沈み込んだ。泥濘に足をとられ、身動き出来なくなる鼠のように。

 

見知らぬ街の朝は常に美しかった。僕は、カラスがたかる輝く屑山にさえ美しさを見出した。「この世界にあるものの殆どが美しさと悲しみで出来ている。」そんな考えが僕をとらえて離さなかった。

 

明るいうちはとてもよく歩いた。目的はなんでも良かった。青果が並ぶ通りを冷やかしに行くとか、映画を観に行くとか、大きなスーパーマーケットに行くとか、朝陽、もしくは夕陽を見つめに行くとか。それ自体に意味があった訳ではなかった。ただ、歩くことを目的に歩き、すれ違う人々と「やあ」だったり「さようなら」だったりを繰り返しながら手を振り続けた。布売りの女性が遠くから変な顔をして見せてきたので、こちらからも変な顔を返し、お互いに笑ったことや、数人の若い青年に「手伝ってくれ」と声を掛けられて屋台の引越しを手伝い、そのあと一緒にアイスを食べてボードゲームをしたことなど、どうでも良いようなことほど詳細に日記に書いた。風のように歩き、人々とすれ違うのはとても愉快だった。思い返せば、一日だって、一夜だって同じ瞬間は無かった。

 

いつだって同じ瞬間がないのは何も旅に限った話ではない。過去もそうだったし、現在もそうで、これからもきっと間違いなくそうだろう。僕は「なぜ旅に出たのか」という問いにうまく答えることが出来ない。過去もそうだったし、現在もそうで、これからもきっとそうなのだろうと思う。ただ、旅に出た理由らしきものがない訳ではない。長い時間ひとりになりたかったとか、ひとりでも大丈夫だと確認したかったとか、「深夜特急」に「二十六歳になるまでに一度は日本から出た方がいい」と書いてあったからとか、もしかしたらそれこそ理由らしきものは「だいたい百個くらい」あるかもしれない。しかし、ひとつとして「だから旅に出た」と言えるだけの強さを持つものはない。

 

旅の理由が判然としないからといって、「なぜ旅に出たのか、出るのか」ということについて考えることをやめはしないし、ましてや旅に出ることをやめたりはしない。「なぜ愛するのか。そも、愛とは何か。」という問いの答えが見つからなくても、実際に愛すること、または愛されることに臆病になってはいけないように。

 

世界中の街が今、朝を迎え、昼になり、そして夜に染まっている。人々は生まれ、眠り、起き、喜び、悲しみ、愛し、憎み、死んでいく。誰かがいなくなっても、最初からいなかったかのように世界は穏やかに続く。信じ難いけど、確かなものがあることを僕は知った。また来たる旅路に想いを馳せる。旅は、世界は、いつでも傍らにある。

獣たちの夜

バラナシにはヒンドゥー教の聖地、ガンジス河がある。河は幅が広く弓なりに反っていて、にび色の水をたたえてゆっくりと流れる。岸辺には無数の小船が並び、対岸へと信者、通勤通学する人、観光客たちをひっきりなしに運んでいく。ある時、ふと河の深さが気になり、インド人の船頭に「河はどれ程深いのだろう」と尋ねたところ、笑顔で「Really deep.」とだけ返され、その笑顔の迷いの無さにつられて笑ってしまった。彼にとって、河がどれ程深いかを表す数字なんてどうでも良いのだろう。実際、それは僕にとっても同じだった。

 

朝、日本で見るよりも赤く大きな太陽が昇ると、水面はやわらかな光をうけて巨大な魚のうろこのように輝きながら揺らぐ。そして、河べりには沐浴をする人、髪や身体を洗う人、手を合わせて祈りを捧げる人、洗濯をする人たちが集う。聖も俗も混じり合ってーいや、そもそも聖・俗なんて分け方など存在しないかのように河は人々の営みに寄り添う。そして、喧騒にまみれた昼が過ぎ、太陽が落ちるとやがてひそやかな夜が訪れる。

 

ガンジス河のほとりには大きな火葬場があり、昼夜問わず亡くなった信者の遺体を燃やす為の火が焚かれている。少し小さめのベッド程の大きさの鉄製の火葬台に遺体を置き、大量の薪をくべ、火をつける。傍から見たらなんてことはない焚火と変わらないのだが、実際そこには生を受け、数日前、もしくは数時間前まで鼓動を打ち、呼吸をし、そして死んでいった人間が燃えていると思うと、今、どうして、自分が生きているのか分からなくなりそうだった。

 

バラナシの夜は冷えるので、空が濃紺に染まり、星がちらちらと見えるようになると、火葬場に牛、山羊、野良犬など多くの動物たちが暖をとりにやってくる。彼らは身を寄せ合ってぬくもりにぬくもりを重ねて静かに眠る。僕も火のそばに座り、眠る獣たちを見つめながらなぜ自分は人間なのかとか、ここで野良犬たちと一緒に眠り、朝を迎えられたらどれだけ良いかとか、そんな考えても仕方のないことばかり考えていた。自分が人間であることがたまらなく寂しかった。

 

自分が人間であること、旅人であること、日本人であること、つまりは自分自身であることから逃れることは出来ないが、多和田葉子さんの「雪の練習生」を読んだとき、文学は人を解放するものだと感じた。想像によって得ることが出来る自由というものが確かにある。旅も似たような力を持っていると僕は感じる。旅の途中で、自分が獣になったような感覚に陥ることが幾度かあった。街をひたすら歩き、疲れたら木陰で水を飲み、腹が減ったら近くの食堂に入る。その日生きて、眠り、また生きるを繰り返す。僕は獣のように街を歩いた。「自分は人間である」と「自分は獣である」という認識の揺らぎを往き来する。どちらが正しいということはなく、どちらも間違いなく自分である。今でも、僕の目には、手足には、心には、獣が宿っている。

街の灯り

‪太陽が沈む夕暮れ時、澄んだ青と橙色が混じり合い、刻一刻と色を変える空の下で遠くに見える街に小さな灯りがつき始める。灯りは徐々に増え、空が濃紺の闇に包まれる頃合いになると、星を地面にそのまま散りばめたような光の群れになる。そして、ふたたび太陽が昇るまで、街は静かに横たわり輝き続ける。‬


‪僕は街に暮らす人たちのそれぞれの夜に想いを馳せ、そっと泣きたいような心持ちになる。会ったことも無い、顔も知らない人たちの穏やかな夜を祈って切なさに胸が締めつけられるのは何故だろう。僕はとても不思議に思う。‬


‪春に山に来てからあっという間に半年が経ってしまった。四月の暖かな夜、東京から山へと向かう夜行バスに乗りながら、僕は村上春樹の「海辺のカフカ」を読んでいた。本の冒頭で、主人公である少年カフカは15歳の誕生日に夜行バスに乗り込み、家出を決行する。奇しくも僕自身もその日、星空の下を疾走する大きくて野蛮な獣のようなバスの中で眠りながら誕生日を迎え、静かに一つ歳をとった。この人生の類似は、単なる偶然ではあったものの、僕にとって非常に印象的で暗示的な出来事だった。20半ばにもなって、15歳の少年に親近感にも似た心の寄る辺を覚えるのは自分の幼稚さや心細さが浮き彫りになるようで情け無い気もしたが、同時に、山暮らしをするという決断を少年が肯定してくれているように思えて心強くもあった。作中で少年カフカは「世界で一番タフな15歳になる」という強い決意を胸に秘め、「ほんとうにタフであるということがどういうことなのか」自身に問い掛けるが、その「世界で一番タフになる」という決意と「タフであるということがどういうことなのか」という問いは、そのまま山で暮らす僕自身のテーマにもなった。


‪「タフさ」とは何か。「海辺のカフカ」を読み終えてからも答えはなかなか見つからなかったが、山を見つめているうちになんとなく分かってきたことがある。僕が見つけた「タフであるということ」の答えらしきものは、「変化を恐れないこと」と「悲しみを受け容れる強さを持つこと」の二つだ。‬


‪僕が山に来た時、山はまだ厚い雪に覆われていた。そこから柔らかな陽射しにより時間を掛けてゆっくりと雪がとかされ、水が流れ、植物が雪の下から顔を出し、小さな花が咲いた。そして、短くて涼しい夏が足早に過ぎ、今や残雪は山陰にほんの僅かばかり残るのみとなり、山肌は滾るような紅に色づき始めている。山は絶えず表情を変え続けるが、いつだって悠然と構えている。その姿は刹那的であり、永劫的でもある。‬山は今までもこれからも変わらず存在し続けるが、全く同じ姿を二度見ることは誰にも出来ない。


人も、時とともに見た目や思考が変化していく存在である。しかし、「自分は自分である」ということについては生まれてから死ぬまで逃れられない。であれば、どれだけ変わっても自分は自分なのだから、変化していくことを恐れる必要はないのだなと僕は思う。自分は自分のまま、流動体として、しなやかに、自分の選んだ道を好きな歩き方で進む自由を人は誰しも持っている。


ただ、変化には時として悲しみが伴う。変わる、そして、それを受け容れるという時に、もう戻れない過去の自分や大切な人、思い出や夢を置き去りにして、もどかしげな手探りでまた新たな道を進まなければならない場合がある。しかし、訣別した過去へ別離の笑顔を向け、勇気を持って手を振り、振り返らずに颯爽と歩みを進めることの出来る強さ。それに耐え得る心の強度。これこそが、「タフさ」だと言って良いのではないだろうか。


‪僕は夜、渺茫とした街を眺めるたび、「世界で一番優しいタフになりたい」と思う。人は孤独で、人生は寂しい。ただ、悲しみに暮れながらも日々生きようとする人を癒すように優しく輝くものがある。‬街の灯りは、人々の生活の営みそのものだ。街の人たちは、そこで暮らすことによって誰かの孤独な夜を照らしているという事実を知らないだろう。山の上でひっそりと佇み、慰められている人間が居ることを知らないだろう。‬もっとも、知る必要など無いのだ。存在し、生活を続けること、それだけで何より生きていることの力強い証明なのだから。


今夜も僕はひとり、届くことはないと知りつつ街に暮らす人たちへと心の中で手を振る。そして、美しい夜明けのことを思いながら祈る。「どうか、穏やかな夜を。」と。

恐竜のこと

   自分のブログに恐竜公園という名前をつけた。なんでこんな名前をつけたのだろう。変な名前だな。
   恐竜は好きだ。なんで好きなのか理由はたくさんあるけど、一つだけあげるとしたら、恐竜に対してどうしたって哀憐の情を強く感じてしまうということがあると思う。だって、絶滅ってさ、こんなに悲しいことってないよね。最後の一匹になってしまった恐竜は仲間を探して広い荒野を歩きまわったのだろうか。孤独に泣いたりしたのだろうか。寂しくって仕方なかった自分も恐竜とあまり変わらないのかもしれないとふと思った。