日記
東京に越してきてから1年が過ぎました。そしてそれは、2年程暮らした京都を離れてから1年が経ったということを同時に表します。更に言えば、おばあちゃんが亡くなってしまってから3年経ったということにもなります。
おばあちゃんが死んでしまったのは、僕が京都に越す直前のことだったので、よく憶えています。おばあちゃんが入院し始めた当初は、暇を見つけては会いに行き、ベッドの横で本を読んで聞かせたり、或いは一緒にテレビを眺めたりしました。しかし間もなく新型コロナウィルスの流行により、一切の面会が出来なくなりました。そして、いよいよ危篤になった時に、本当は駄目だったのですが、看護師さんが融通を利かせておばあちゃんの病室に通してくれました。そこでおばあちゃんに一目だけ会いました。看護師さんに「何か話しかけてあげてください」と言われたのですが、本当に何も言えなかった。おばあちゃんの意識がもう既に混濁していたというのが理由ではなく、人と一生会えなくなる時になんて言えば良いのか当時の僕には分からなかったからです。何なら今でも分からないような気がします。
僕はもう本当に誰とも会えなくなりたくないと思っています。しかし、生きている限りそういうことは起こるというか、起こりつつあるということも理解しています。恥ずかしながら、僕はまだ人と別れる悲しみを乗り越える術を見つけていません。だからお願いだから、誰にもいなくならないで欲しいと思ってしまいます。我儘だとは重々承知していますが、どうか何卒。
日記
十月の寒さに言葉を尽くすのは難しい。冬が来れば十月に震えたことなどすぐ忘れてしまうだろう。しかし今の僕は咄嗟の寒さに晒されてあたたかい服がどうにも欲しいと思っている。悪夢を見ても死んでしまった人を思い出してもあたたかい服さえあれば安心して眠れるのにと、震えながら思っている。しかし、きっとすぐ忘れゆくことなのだ。死んでしまった人と同じ時間に生きていたことも、きっとそう長くは憶えていまい。
日記
人々が寝静まった後になってようやく分かることがある。人は孤独でも幸福になることが出来る。昼の陽射しや喧騒の中では気付けない。勿論、昼日中にしか理解出来ないこともある。しかし、風の柔らかさとか月の輝きに支えられた真実というものが確かに存在する。それ故に時間は偉大だと僕は思う。自分に何が足りてないのか、若しくは過剰なのか。逡巡は止め処なく、潮の満ち引きのようでもある。過去に戻れないことを嘆く必要はなく、砕かれた心を抱いて進むことでまた心の破片が輝き始める。その輝きは悲しみを伴った夜の静けさにも似ていて、僕はここで祈りを捧げながら朝を待とうと思う。
日記
眠る。哀悼と七月。
埃にまみれた鏡は宙に浮いて、我々の理解を要さない。鳥たちは見えない魚の銀の腹を狙って世界の総体を捉えようとする。世界の断片は宇宙単位で光り続けているものの誰の目にも止まらない。だがそれは不幸せとは離れたところにある。ただの人知れぬ光なのである。
日記
太陽に炙られた街が夜を通して大気中に熱を返す。朝を迎える準備は時間の逆行にも似ている。深い夜更けに眠れない人々は孤独を知っている。或いは、知らざるを得ない。夜にしか見えないものがあるとしたら、それは孤独な魂の形かもしれない。
旅先ですれ違う山羊は祈りの花を食べる。山羊は山羊なりのやり方で祈りを地に還す。祈りを掬い上げるのは植物の為すところが大きく、人々はそれを手折るところから始める。自らの残酷さを忘れて祈りを捧げることは極めて難しい。
多重露光した写真には疲れ果てた犬と誰もいない砂漠の風景が重なる。真理は頭上で炸裂する火花のように掴み難い。魂の交感は瞬く間に過ぎ去る。都会の乾燥した神経の上を真理が滑って行く。
イルカと茄子
さっきまで眠気の尾をしっかり握っていたのにイルカと茄子の祖先のことを考えていたらいつの間にか手からすり抜けてしまった。
こうなったらまた眠気が訪れるまで何も考えずに待つのが一番良いのだけど時に諦めも肝要で、寝ることを諦めればこうして意味のない単語を並べることも出来る。
イルカと茄子の祖先のことと言うのは、新鮮な茄子のさわり心地が余りにイルカを想起させるので、元々は同じ生き物だったのではないだろうかということで、イルカが茄子になったのか、茄子がイルカになったのか、考えても考えても答えは出ず、いずれイルカと茄子双方に話を聞いてみたいと思っている。
恐竜は多くの種が滅んだが一部は鳥に進化して生き残った。だから絶滅した訳ではないという話があるけれども、それも一部本当で、一部は嘘だ。恐竜は野菜とか果物にも進化した。ゴーヤなんかはアンキロサウルスの進化であり、パイナップルはステゴサウルスの進化だ。(諸説ある。)
人間はこれからどうなっていくのか。望みは薄いけどいつか植物になれたら素敵だ。姿形はあまり美しくはならないかもしれないけど。でも今よりきっと無害だろう。無害だし、靴ずれとかもしなくて済むようになる。これは実に大いなる進化である。