旅に出る理由は

旅に持っていった数冊の本の中の一つにカート・ヴォネガットの「母なる夜」があった。この本の冒頭に「愛する人とできるだけいっしょに寝てあげなさい。それはみなさんにとって、ほんとうに好ましいことですから。」と作者から読者へと語り掛ける言葉がある。僕はこの言葉を抱きしめながらひとり、まぶしい朝と静かな夜を往き来していた。

 

「椅子」
椅子の下にねむれるひとは、
おほいなる家をつくれるひとの子供らか。

萩原朔太郎

 

旅の間、椅子の下で眠ることはなかったものの、街の安宿、列車の荷棚、駅の待合室、夜行バスの垂直に近いような硬い椅子など、様々な場所を寝床にした。明るい時分に疲れ果てるまで歩き回ることが多かったので、どんな場所であろうと夜はいとも簡単に深い眠りに沈み込んだ。泥濘に足をとられ、身動き出来なくなる鼠のように。

 

見知らぬ街の朝は常に美しかった。僕は、カラスがたかる輝く屑山にさえ美しさを見出した。「この世界にあるものの殆どが美しさと悲しみで出来ている。」そんな考えが僕をとらえて離さなかった。

 

明るいうちはとてもよく歩いた。目的はなんでも良かった。青果が並ぶ通りを冷やかしに行くとか、映画を観に行くとか、大きなスーパーマーケットに行くとか、朝陽、もしくは夕陽を見つめに行くとか。それ自体に意味があった訳ではなかった。ただ、歩くことを目的に歩き、すれ違う人々と「やあ」だったり「さようなら」だったりを繰り返しながら手を振り続けた。布売りの女性が遠くから変な顔をして見せてきたので、こちらからも変な顔を返し、お互いに笑ったことや、数人の若い青年に「手伝ってくれ」と声を掛けられて屋台の引越しを手伝い、そのあと一緒にアイスを食べてボードゲームをしたことなど、どうでも良いようなことほど詳細に日記に書いた。風のように歩き、人々とすれ違うのはとても愉快だった。思い返せば、一日だって、一夜だって同じ瞬間は無かった。

 

いつだって同じ瞬間がないのは何も旅に限った話ではない。過去もそうだったし、現在もそうで、これからもきっと間違いなくそうだろう。僕は「なぜ旅に出たのか」という問いにうまく答えることが出来ない。過去もそうだったし、現在もそうで、これからもきっとそうなのだろうと思う。ただ、旅に出た理由らしきものがない訳ではない。長い時間ひとりになりたかったとか、ひとりでも大丈夫だと確認したかったとか、「深夜特急」に「二十六歳になるまでに一度は日本から出た方がいい」と書いてあったからとか、もしかしたらそれこそ理由らしきものは「だいたい百個くらい」あるかもしれない。しかし、ひとつとして「だから旅に出た」と言えるだけの強さを持つものはない。

 

旅の理由が判然としないからといって、「なぜ旅に出たのか、出るのか」ということについて考えることをやめはしないし、ましてや旅に出ることをやめたりはしない。「なぜ愛するのか。そも、愛とは何か。」という問いの答えが見つからなくても、実際に愛すること、または愛されることに臆病になってはいけないように。

 

世界中の街が今、朝を迎え、昼になり、そして夜に染まっている。人々は生まれ、眠り、起き、喜び、悲しみ、愛し、憎み、死んでいく。誰かがいなくなっても、最初からいなかったかのように世界は穏やかに続く。信じ難いけど、確かなものがあることを僕は知った。また来たる旅路に想いを馳せる。旅は、世界は、いつでも傍らにある。